負債って、あっちゃダメなの?
「負債総額⚫︎0億円!」と、ドラマ内のニュースでザワついていた。
私は仕事柄、比較的大きな単位の数字を見ることが多い。
そんな私からすると、「負債総額⚫︎0億円!」、だから何?という感じである。
負債とは、誰かに返さないといけないお金である。
他の人から借りているから、借金、ともいう。
(負債とは借金だけではないが、一般的なイメージとしては借入金が多いと思う)
「⚫︎0億円の負債」だけなら、それがどのくらいの規模なのかよくわからない。
売上が100億円あっての負債⚫︎0億円、なのか、
売上高3億円の会社にとっての負債⚫︎億円なのかによっても、インパクトはまるで異なる。
逆にそれだけ借りれることの方がすごい。
また、負債がいくらあっても、それ以上の現預金を保有していれば、負債がそこまでネガティブに働くことはないのではないか。だって、その現預金でいつでも返済できるんだから。
キリスト教とは全く関係ない話になってしまいましたが、キリスト教って確か利息とっちゃダメだし、とった利息は返せって書いてあったよね。
例えば40億円を年間1%で借りたら、年間の利息額って4千万円なわけですよ(単位の表記バラバラですみません、ここでは分かり易さ優先しました。仕事じゃないし)。
ある日いきなり、「おい銀行、今まで顧客からもらってきた利息返せ!」って言われても、困るよね。。。
誰も返せないよね、もし本当にそんなことするなら、その周辺地域の経済終わるよね!!!
資金融通機能がなくなり、企業間の貧富の差が激しくなる。
資本主義だからこその資金融通という役割。それが銀行というと、ものすごく聞こえは良い。
一方、自分が社会の中で果たしている役割はなんだろうか。
教会では、地の塩なのだから、世の光なのだ、と聞く。
ん、つまり?
私たちの存在自体に意味があると言ってもらえるのはありがたい。
しかし、ただあるだけ、ただいるだけ、で良いわけではないと思う。
私たちが存在し、何かしらの行動や働きかけをすることで、塩加減、光加減がいい塩梅になっていく。
つまり、クリスチャンとしてのアイデンティティをどのように活かせば良いのかが
よくわからない。
日々の仕事ぶりは。。。
毎日頑張って働いているものの、くだらないミスや注意不足が多い。
働く姿勢を見られて、クリスチャンってそんなもんか、と言われかねないような
働きになってしまっている。
このままではよくない。
今の仕事が向いていないんだ、転職しよ。
という考えて転職をする周囲の人もいるが、それは違うと思う。
自分のできないことを諦め、できることを探していくのは、、、
自分が成長することを諦めていると思うし、何より信仰を頑張らなくて良い理由にしているようにしか聞こえない。
やや激しい論調にはなったが、詰まるところクリスチャンとしての役割を自認できていないのである。
が日々探し考え続け、門をたたき続けよう。
⚪︎今日のヒトコト
最近起床時寒くて布団から出られない。
暖房つけるか。。。