依存って、良い損? #9
依存って、良い損?
というタイトルの記事を保存一時保存していましたが、
消えていました。
という言い訳です。
最近投稿できておらず、、、今日からまた投稿します。
実は私、依存されています。
生きるの疲れた、もう全部やめたい、などなど、このようなメッセージをもらうことが多くなりました。
なぜ私に依存するのか、かつ、なかなかベビーな内容。
私自身はどうなのかと申しますと、過去誰かに依存せずに生きていたと思う。
(依存していたら。。。ごめんなさい)
誰か、何か、に依存せずに生きてきたと思う私に依存する人。
どのように対応すれば良いのかわからない。
なぜそんなにも生きることが辛いのか、なぜそんなにネガティブに考えるのか、なぜそんなに気にしーなのか、なぜそんなに繊細なのか。。。
わからないこと、理解できないことが多すぎる。
まるで異生物、新人類とコミュニケーションをとっているようだ。
必死に生きていることは伝わるのだが、、、少し引いたところから見てしまう自分がいることも事実。
自分とは全く異なる感覚を持つ相手と話すのは、本当の異文化交流である。
なぜ神様は私とこの人を交わらせたのか。
相手には、「その考えが全くわからないから、薄っぺらい共感をする気はない。そうだよね、辛いよね、と慰めて欲しいなら、他の人に当たってくれ」ということも伝えている。
これは私なりの配慮であり、相手にとって都合の良い依存先になりたくないがための予防線である。
とは言いつつ、私が話相手になることで、相手が生きてくれるならそれでも良い。
一人の命を救えるというと大袈裟だが、私の対応が雑で仮に相手に死なれたら困る。
依存する、依存される、関係は、距離が近すぎることから起きるのか。
心を許され過ぎているからなのか。
私は基本、人との距離は近い方で、自分でも少々バグっていると思う節がある。
だからこそ、
頼る、と依存する、の違いを自分の中で持つべきなのだと思う。
相手に強要はしないものの、その人との関係を俯瞰してみたときに
今は頼る、頼られてるな
や、
これはまずい、依存寄りだぞ
など、わかるようになる必要がある。
そのように考えると、人生の中で一度、依存されたり、沼られたりすることも悪くないのかもしれない。
勉強料だと思えば、依存されるものいっときの状況であると割り切れる。
同じ状況がずっと続くことはないと思う。
だからこそ、依存は良い損、だと思ってみよう。