縦の糸があなた、横の糸が私。
そう、有名な歌詞ですよね。
これ、信仰生活でも同じことが言えると思います。
縦の糸は、あなた(=神様)に繋がってる。
横の糸は、私(=あなた、ではない)、周囲の人)
信仰生活は、私、一人では成り立たない。
周り人がいるからこそ、継続できる点もあると最近思う。
かくいう私は、幸いその点では恵まれて育ってきた。
・幼少期より教会に通い続けることができている。
・その教会には、同年代が多い
・中学/高校/大学、とミッションスクールに通えている
・それぞれにクリスチャンの同級生がおり、そのつながりでクリスチャン繋がりの輪が広がった
この信仰的温室育ちの私だが、最近いかに恵まれているのかを感じた。
最近教会に来るようになった子と話している時、⚫︎⚫︎教会に通えているって、ほんと恵まれていますよね、とふと言われた。
よくよく聞くと、
・その子が通っていた教会に同年代はおらず、教会に行っても友達はできない。
・大人の方に囲まれ、大人対応だけはうまくなる、(世渡りが上手になる?感じも嫌らしい)
・信仰面で困った時に、相談相手がいない
ということがあり、教会に行きたくない、心が挫ける、ための言い訳には十分すぎる条件が揃っているようである。
そんなことを聞くと、私は誰かの「横の糸」になりたいと思う。
信仰生活が辛いなら、神様を信じれなくなったときには、相談相手になりたいし、
順風満帆な信仰生活なら、それを聞く相手になりたい。
感情論かもしれないが、「支え、支えられる」関係自体に価値があるのではないか。
⚪︎今日のヒトコト
私は福山雅治が歌う「糸」が好き。