世間は意外と狭い、ってホント?
最近、世間せんまっ!となったお話2つ。
あ、キリスト教とか信仰には全く関係ないです。
教会での出来事。
最近、私が普段通っている教会に、新来者がいます。
年齢は、私の少し下くらい。
会社の特徴を聞くと、どうやら大学の先輩が勤務している会社と同じようである。
さらにその会社には、中学・高校の同級生も勤めており、結果、一つの会社に知人が3人勤めている。
面白いことに、私との繋がりは皆ちがう。中高の同級生(部活が同じ)、大学の先輩(部活が同じ)、教会が同じ。
ともに、何か向かってみんなで頑張る、試行錯誤する、という点では私と彼ら・彼女らの繋がりに共通項がある。
世間って、ほんと狭。
二つ目。
教会繋がりのイベントで会った神学生。その子とインスタを交換した。
そうしたら、10年ほど前に、うちの教会にいた神学生が共通の友人が出てきた!!!
まーじでびっくり。なんで知ってんねん。
となりました。
良くも悪くも、関わる人が同じというのは、ステージが同じだということ。
クリスチャンとして、同じコミュニティーに居続けるということは、変わらず教会に、神様と繋がり続けてることができているということ。
一方、今回は出てきていないが、プライベートや会社の人はどうだろうか。同じ人とだけ関わると言うことは、ずっと同じステージにいるということ。これは良いことなのか。。。
悪く言うと、成長していない、視座が変わっていない、ということか。
自分の視座は変わっているのか。。。
そんなことを思った一日でした。
⚪︎本日のヒトコト
依存するのも、依存されるのも、タイヘンである。沼るのも、沼られるのも。
人との距離は、テキドが一番。